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先日、ご主人様に
「されたくない調教は何だ?」
と聞かれ、 う~ん と考え込んでしまい答えが出なかった。
「では逆に、されたい調教は?」
と聞かれて、またまた考え込んでしまい答えがでなかった。
好きか嫌いかで言えば
はっきり言って全部嫌いだ。
だけど、
もう二度と受けたくないのだな。
と言われると、それは違う。
全部嫌いな調教には間違いないが、
もう二度と受けたくない調教ではない。
ご主人様のS性が怖くなって逃げ出そうとした檻の調教でさえ、
今は受けてもいいとさえ思える。
いや、むしろ もう一度を求めている自分もいる。
妄想の世界で苦痛を求めて彷徨っていたあの頃のような
快楽の中での恐怖や苦痛とは違い、
そこにあるものは、本当の恐怖や苦痛なのだが、
それでも、
やはり‥わたしは求めているのだ。
自らがというよりも、
強制的、無理矢理にされるという
自分の意に反してということが私を高揚させ
本気で嫌がり泣き叫ぶ姿に
ご主人様は興奮し悦ばれていることに
私を愛おしいと思ってくださることが
私の悦びとなり奥底の淫の心を疼かせるのだ。
だから、
わたしにとって
受けたくない調教=受けたい調教
なのである。